イチジク
このイチジクの苗たちは、庭に地植えしていた蓬莱柿から挿し木したものだ。 なお、親の木は大きくなりすぎて邪魔になったため切り倒した。
今から8年前のこと、母方の祖父母宅からイチジクの枝をもらってきて挿し木をした。 発根して大きくなったので庭に地植えしたところ、とても大きく成長したが、いつまで経っても実が成らなかった。 正確に言えば、1年だけ実を付けた年があったが、実が肥大しないまま冬を迎えてしまい収穫できなかったのだ。
しかも、低い位置から分枝するよう育てたのだが、毎年発生する新梢が高く伸びてしまい脚立を使わない収穫が無理になったのだ。 もちろん、収穫したことはないので、もし実がなって収穫することになっていたらの話である。
その地植えの蓬莱柿は、地際から主枝が3本出ており、それぞれから3本の枝が分枝していた。 つまり、9本の枝があったのだが、どの枝の先端も腰の位置よりは低かった。 しかし、春に出る新梢がほぼ真上に3メートルほどに伸びていたのだ。 おかげで脚立が必要な高さになってしまっていたのである。
市内にあるイチジク畑を冬に観察したことがあるが、主枝を我が家と同じく腰ぐらいの高さまでで横に広げている。 そこから伸びる新梢をどう管理しているのだろう。 成長期にイチジク畑を観察したことがないので、どう低い位置で収穫できるよう工夫しているのかわからない。
今度、成長期や収穫期にイチジク畑を観察してみようかな。
品種は
母の実家に植えられているイチジクがルーツとなる我が家のイチジクだが、母の実家のイチジクの由来がハッキリしないのである。 というのも、祖父が土地を買った時にはすでに敷地内にイチジクが植えられていたらしく、それをそのまま育てたそうだ。 だから、品種がハッキリしないのである。
なお、祖父が土地を買ったのがいつ頃なのか母に聞いてみたが、母が物心ついた頃にはすでに実家で暮らしていたという。 母が昭和21年(1946年)生まれだということを考えると、『ホワイト・ゼノア』のような外国品種ではないだろうから、『蓬莱柿』か『桝井ドーフィン』だろう。
で、『蓬莱柿』なのか『桝井ドーフィン』なのかだが、『桝井ドーフィン』ではない。 子供の頃から社会人になるまで毎年のように祖父母宅のイチジクを食べていた。 だから、ネットで紹介されているイチジクの品種の外観や断面の写真を見れば判断できる。
社会人になって上京し、東京で暮らしていた頃は、帰省した時にしか祖父母宅のイチジクを食べる機会はなかった。 なので、何度か店頭で売られているイチジクを買って食べたことがあるが、もぎたての味とは比べ物にならなかった。 もう、店で買ったイチジクを食べることはないだろう。
なお、今は実家で暮らしているので、祖父母宅には簡単に行けるがイチジクの木はもうない。 祖父母宅のイチジクは数年前に切り倒されてしまった。 祖父が亡くなったのと同じぐらいの時期に実を付けなくなり、さらにカミキリムシの害がひどく、今にも倒れそうだった。 なので、叔父が切ったらしい。
我が家では野菜も育てているが、店で買った野菜と自家菜園の野菜に味の差は感じられない。 トマトも、キュウリも、ピーマンも、ナスも店頭で売られているものと庭で収穫したものに味の違いは感じられない。 自家菜園は無農薬なので、育てる意味はあると思うが、『劇的に美味い』ということはない。
でも、イチジクはもぎたてが断然美味い。 店頭で売られているものよりも明らかに美味いのだ。 なので、イチジクを収穫できるようになるのが待ち遠しくて仕方がない。 ラズベリーやブルーベリーのように日持ちしない果物や流通に向かない果物は、庭で育てたもぎたてを食べるのが最高に美味いが、イチジクも同じである。